STUDENTS & TEACHERS いち押し BOOKS


『僕はかぐや姫』
 村松栄子著 (福武書店 1991.5)

 本書は「ジェンダーの鬱陶しさ」をテーマにしているが、実はジェンダーの抱える諸問題を社会に問うた作品、ではなくて、言ってしまえば女子高生の主人公が様々な出来事を通して次第に成長していく・・・とまあごくありふれた作品なのである。17歳の主人公は、今自分は大人でも子供でもなく、もちろん男でもなく女でもない特別な存在なのだという。曰く「僕」という言葉には、現実に自分を取り巻いている鬱陶しい「女」を浄化する力があるらしく、だから彼女は決して自分を「わたし」とは言わず「僕」と呼ぶ。この辺なんで?って感じだが、そういうひたむき?な一直線さこそ夢見る少女の特権だろう。理論や合理性より「ときめき」が何より大事。理由など後からついてくるのだ。でも年取ると「失楽園」の如く、恋一つするにももっともらしい理由付けが必要になるようだが。まあそれはともかく、かぐや姫は結局男のモノにならずに月に帰ってしまうのだから、少女性の象徴として使うにはかぐや姫って巧いモチーフだと思う。男にとってはひどい女だが。結局本書の魅力は何処かというと、いわば少女漫画の持つ「ときめき」をそのままに持ち込んで、それを著者が見事に融合させ得た点にあるのだ。ちなみに本書では、女子高生のスカートは長いほど良くソックスは三つ折りに描写され、茶髪は誰も居ない。まあ時代が違うと言ってしまえばそれまでだが、こういう些細な部分に流行の変遷を知ることが出来るので、その点でも地味に面白いかも。本書は出来れば夢見る少女達に、あるいはまだ自分を少女だと思っている夢見てる女性にも是非お薦めの一冊である。(913.6-Ma82)
(大学院経済学研究科1年 横島公司)


『アメリカよ驕るなかれ』
 芝生瑞和著 (毎日新聞社 2001年4月)

 いま世界には二つの種類の人間しかいない。アメリカ人とアメリカ人ではないひと、である。アメリカ人であること、は私たちの人種、生物学的な性質とは関係ない。「アメリカ人種」とは、イギリス系であり、イタリア系であり、ロシア系であり、ユダヤ系、アラブ系、アジア系、アフリカ系・・等々、世界の存在する人種の大半がアメリカ人でありうる。アメリカ人はみな、「x系アメリカ人」という形容詞付の存在である。では、形容詞をとってしまった「アメリカ人」とは何なのであろうか?「あのひとはイタリア系アメリカ人だ」ではなく、あのひとは「アメリカ人だ」というときのアメリカ人とはどういう存在なのであろうか。教科書的には、アメリカ人であるとはアメリカ的価値を受け入れた人間であり、アメリカ的価値とは「自由と民主主義」である。「アメリカ人」は皆、アメリカ的価値は絶対的に正しいと思っているし、だからアメリカを攻撃する人間(や国)は、正義の敵なのである。

 世界はアメリカを防衛し、支援する道徳的義務を持っているのである。アメリカを支援しない人間や国はどこかおかしいのである。アメリカ人はこう考えている。こういうアメリカ人の考え方を「まったくの戯言」と笑い飛ばすことはできないし(私たち日本人の多くも、もうすでにアメリカ人なのである)、またそうできないところに今の世界のややこしさがある。アメリカは私たちの希望であり、また失望の原点である。

 この本はそれを教えてくれるのである。世界の人間はみなアメリカ人になってしまうか、ならないか、という選択肢しかない。しかし、アメリカ人になるとはどういうことかは、いまいちはっきりとしないのである。(302.53-Sh19)      (経済学部教授 堀川 哲)