STUDENTS & TEACHERS いち押し BOOKS


『片想い』
 東野圭吾著 (文芸春秋 2001.3)

 最近,「性同一障害」という聞き慣れない言葉を耳にするようになった。それが一体どういうものなのか,御存知だろうか。私は東野圭吾の『片想い』を読むまでは,理解できたつもりでいた。しかしそれは間違いだった。
 帝都大アメフト部OBの西脇哲郎は,十年振りにかつての「女子」マネージャーと再会し,ある「秘密」を告白される。「男性」の姿で現れた彼女は性同一障害だった。周囲には男性の心を持っていることを隠し続け,自分自身に戸惑いながら,ずっと生活していた。そんな彼女が男性の姿で殺人を犯してしまう。世間の理解がないが故に自首できずにいる主人公をかつての仲間達が支え合う,せつなく深い物語である。
 この物語は単なるミステリーの枠を越えている。ストーリーはまるで映画の台本を読んでいるかのような描写でぐいぐいと魅き込まれ,息をつく暇もない。
 生物学上は,性染色体のタイプがXXであろうとXYであろうと,あるいはそれ以外であろうと人間には変わりはない。本来,性別を二分する事は難しいのである。「全ての男女はメビウスの帯びの上にいる」という表現が出て来る。それもその作品の中では納得してしまう。性同一性障害に関してだけでなく,性別の在り方そのものについても深く考えさせられた。
 『片想い』は,おそらく男女間で印象がかなり異なる作品であるだろう。
 ぜひ多くの方に読んでいただき,この問題について共に考えてほしいと思う。(913.6-H55)
(女子短期大学部英文科 佐藤 友美)


『魔女』
 山本昌代著(河出書房新社 1999.6)

 山本昌代さんは、1983年、津田塾大学在学中に「応為坦々録」で「文藝賞」を受賞し、一躍脚光を浴びた小説家です。映画「居酒屋ゆうれい」の原作者だと言えば、ご存知の方も多いでしょう。でも、幸運なデビューにもかかわらず、わずか五年ほどで全くの執筆不能に陥ってしまいます。布団もカーテンもないがらんとした部屋でたった一人、谷崎潤一郎の作品を写経のように書き写していたそうです。
彼女が再び創作の場に戻ってきたのは92年の秋、その作風はがらりと変わっていました。『魔女』は、99年に刊行された比較的新しい短編集です。表題作「魔女」の主人公は、単身イギリスに滞在する三十代の女性小説家、行きつけのカフェで、土地の人々から「魔女」と呼ばれて恐れられている女客に出会います。周囲の忠告にもかかわらず、主人公は彼女に近づかずにはいられません。安定した職業や地位、家庭をもたない女、それが「魔女」のイメージだとすれば、二人を分かつものはあるのでしょうか。いつしか「魔女」という呼称は、主人公を非難し排除する声のようにも聞こえてくるのです。「ピンクコート」では、主人公の行くところ行くところに、ピンクコートを着た怪しげな女が姿を現します。彼女が何か具体的な危害を主人公に加えるわけではありません。けれどもピンクコートは、不吉なものの象徴のように主人公に付きまとって離れないのです。
 不気味な兆候性を帯びた時空間に、単身者の孤独や不安が色濃く映し出されているのが、近年の山本作品の特徴です。そして、こういう作品を読み耽っていると、私自身もまた、ふと自分というものの足場がひどく頼りないもののように思えてくるのです。因みに「ピンクコート」には私も登場しているのですが、気がつかれたでしょうか。
(法学部助教授 近藤 裕子)