図書館派と本屋派 経済学部助教授 工藤孝史

高校生の頃、よく神田神保町へいった。ぼくの高校からは電車を乗り継いで15分ぐらいだった。放課後、あるいは授業をさぼって、当てもなく色あせた古本の背表紙を眺めている時の快感は、今でもときどき思い出す。1969年から1970年代のはじめにかけての話で、当時はこの地域も、しょっちゅう学生と機動隊の衝突があった。カルチェラタン(ラテン地区)という呼び名を初めて聞いたのは、この頃のことだと思う。東京のカルチェラタンといえばここ神田神保町や駿河台のことだった。今は古本屋もずいぶん整備されてしまって、当時の雑然とした雰囲気がだいぶ失われてしまったが、あの頃は、古本屋はもちろん、喫茶店、画材屋、ジャズスポットのほかに、景品にマルクスの『資本論』をおいているパチンコ屋まであった。それからおよそ30年後、パリにきてそのカルチェラタンに住むことになった。去年の春からパリ第3大学(シュールレアリスム研究所)に留学することになり、アパート探しでパリの生活がはじまった。住むところはカルチェラタンと、最初から決めていた。毎週木曜日に出る住宅情報誌を片手に、この地区のアパートを見て歩き、夫婦二人にはすこし小さすぎる10坪のロフト付きの部屋を借りて、3ヶ月過ごした。その名も「学校通り(リュ・デ・ゼコール)」という通りからすこし入ったところで、本屋と映画館とパン屋には何の不自由もなかった。一方、留学先で、サント・ジュヌヴィエーヴという由緒ある図書館を紹介してもらい、早速利用者カードを申請した。シュールレアリスム研究所といっても、それ専用の部屋があるわけではなく(フランスでは教授陣も限られた人しか専用の部屋をもっていない)、大学には落ち着ける場所がない。サント・ジュヌヴィエーヴ図書館にはシュールレアリスム関係のアルヒーフがあるというので、とりあえずはここで「勉強」しょうと考えたわけだ。ところが、この図書館がどうにもぼくには使いにくい。毎回入り口で荷物検査をされる。一般閲覧室は毎日人でいっぱいである。入り口の整理券発行機で自分の場所を確保した上、さらにまたカードを入れて、改札口を通り、やっと閲覧室につくという仕組みだ。何の当てもなく図書館へ行って本の背表紙を眺めるという、ぼくのような暇人向きではないのである。アルヒーフのある部屋は、いつでも研究者に開放されている。ところが、よく考えてみると、ぼくはアルヒーフを見なければならないような仕事をしにパリにやってきたわけではない。そういうわけで、今のところ、ここも用がない。もしこの部屋が喫煙可能で、開架図書があったら、毎日とはいわないまでも、散歩がてら利用したかもしれないが、結局は2回行ってやめてしまった。そのかわりといっては何だが、街には本屋があふれている。ぶらぶら歩きながら、おもしろそうな本を買い求めて、カフェに入り、たばこに火をつけて、おもむろに買ったばかりの包みを開ける。そういうスタイルを選ぶことになった。10年前、アメリカに留学していたときはよく図書館を利用した。その必要があったからだろう。調べものをしたり、せっせとコピーを撮ったりした。パリとは違って、そこは、暇な人にも忙しい人にも寛容な空間だった。3ヶ月住んだアパートを離れて、もう少し大きいアパートに移るとき、やっぱり本屋と映画館とパン屋のある地域を探した。今はサンミッシェル広場からサンジェルマン・デ・プレ教会へ向かう賑やかな通りに部屋を借りている。図書館はちょっと遠くなったが、そのかわり5分以内のところに、大きな本屋が何軒もひしめき合っている。アパートの下の本屋は午前0時まで開いている。時々夕食の腹ごなしに出かけていって、当てもなく背表紙を眺めていると、いろいろな構想が浮かんでくるから楽しい。パリに来て、どうやらぼくは図書館を「反文学的な」空間と考える<本屋派〉になってしまったようだ。